日記

さよなら、マジック:ザ・ギャザリング

部活の仲間の家に遊びに行ったとき、友人がカードの束を分けてくれた。当時は漫画・アニメ・カードと遊戯王の大ブームだったが、渡されたカードの雰囲気はそれとは明らかに異なっていた。

ファンタジックでダークな雰囲気のイラストのカードは不気味なのになぜか魅力的で、すぐに夢中になった。いつの間にかルールを覚えた自分たちは、すぐに白熱した。時間は加速するように流れ、あっという間に夕方になり「よいこチャイム」が鳴った。いつも以上に名残惜しい気持ちで家に帰ったのを覚えている。

それがマジック:ザ・ギャザリングとの出会いだった。プレーンシフトのカードが珍しかったので、おそらく2001年頃だったろうと思う。

約20年、アナログもデジタルも含めて遊んできたゲームだが、今日を持ってどちらからも手を引こうと思う。引退というやつだ。

プロどころか競技プレイヤーでもない、ただのおじさんがカードを辞めるというだけの話。ただ、自分にとっては特別な意味を持つイベントなので、思いつくままに記そうと思った。

中学生とマジック:ザ・ギャザリング

今思うと遊び方はかなりあやふやだった。カウンター呪文以外はすべてソーサリータイミングで処理していたし、中学生の自分たちは《Island》を「イズランド」と読んでいた。(友人のお父さんが指摘してくれて、アイランドだと気づいた)

我々の住む田舎町から、最寄りのカードショップまでは往復で200円かかった。子供にとっては大金である。なかなか行けないし、行ったとしても多くのカードは買えない。カードショップの店員さんは、トイザらスの店員さんとは雰囲気が違って少し怖かった。ブースターパックは英語版のほうが安かった(並行輸入の影響だと後に知る)。完璧に解読できない英語版のカードをたくさん持っていた。
皆パックをたくさんは買えないので、4人の部活の友人で集まって色分け交換でカードを集めていた。

黒担当のぼくの当時の切り札は《深淵の死霊/Abyssal Specter》だった。

第6版イラストの雰囲気が好きだった。友人たちも同じ評価だったようで、第7版よりも第6版イラストの方がトレードレートが高かったことを何故かはっきりと覚えている。

~時に○○の家に集合な!
― 「日が暮れるまでマジック:ザ・ギャザリングで遊ぶ」を意味する、フェメレフの言い回し

自分はコミュニケーションが下手で乱暴な子供だったので友人は少なかった。家庭環境の影響をモロに受けて荒れに荒れていたのだけど、カードという目的があれば人数合わせでも仲間に入れて貰えた。人と接することの少なかった自分にとって、マジック:ザ・ギャザリングはその口実をくれる特別なアイテムだった。

高校に入ってしばらくの間はそれが続いたが、音楽に目覚めてからは自然にカードのことを忘れていった。
マジックを通じてコミュニケーションを学んだおかげで、カードなしでもコミュニケーションが取れるようになっていたのかも知れない。当時を振り返ってそう思った。

20代前半の社会人とマジック:ザ・ギャザリング

社会人になって復帰するきっかけは、ふらっと立ち寄ったダイエーの中のカードショップだった。リミテッドの大会をやっていて、そこで古い友人と久しぶりに再開したのでまた遊んでみるか、というノリだったと思う。

そこからハマるのは早かった。なにせ仲間と金があるのだ、欲しいカードを欲しいだけ買って夜中まで遊べる。楽しくないわけがない。この頃がカードの比重が人生で最も高い時期だった。なにせハマリすぎてカードショップにも務めるほどであった。(余談だがこの転職は完全に失敗だった。想像以上のクソ会社で思い出してもムカッ腹が立って来る)

とはいえ、「遊ぶ」以外の角度で楽しむマジックに目覚めて以来、自分にとって新鮮で楽しい経験が出来た。

ショップ時代に知り合った人とは今も交流があり、なんだかんだでもう10年来の友人になる。泊まり込みで練習をしてFNMに参加したのはいい思い出だ。グランプリにも何度も参加した。学生のときには得られなかった人間関係が得られたのはすごく大きい。ガッツの鷹の団よろしく「黄金時代篇」と読んでも差し支えないレベルの充実っぷりだった。

同時に問題解決と論理思考、マネジメントの基礎はこの時期に身につけたように思う。

20代後半の社会人とマジック:ザ・ギャザリング

ショップを辞めて以降、競技マジックに打ち込むことはなくなった。MTG ARENAの登場によって、わざわざショップに行かずとも楽しめるようになった。遊ぶためにカードの購入をすることも、すぐに遊べるようにカードを管理することももはや不要になった。まさに革命的であった。

仕事終わりに友人とFNMドラフトに参加する、プレリリースイベントに参加する、回顧的に古いブースターパックをあけて遊ぶなどの方法で、ゆるく楽しむようになった。中学生の頃に回帰したようでもある。

遊んだあとはカードをすぐに手放した。管理の手間を嫌ってのことだ。遊んだカードは写真を撮って記録しておく習慣がつくと、思い出は物理的な方法以外でも残せことに気付いた。

ここまで読んで察した人も多いと思うが、20代後半以降のマジックには夢中になっていなかった。友人と遊ぶのは確かに楽しかったが「別にカードでなくてもいい」と言われれば、確かにそうだと思う。

なぜやめるのか

コンテンツを楽しむだけの時間と情熱を失ってしまったから、という一言に尽きる。気が済むまで遊んだと言えるのかも知れない。

最近の過去の栄光に縋るような商品展開や、プロ達を軽視するようなWoCの対応が続いていることに嫌気がさしたというところもあるにはあるのだが、一番の理由は自分の内面の変化なのだろうと思う。

歳を重ねるにつれて物事のプライオリティが少しずつ変わっていく。その結果、自分の中でこれを手放すことへの迷いはなくなっていった。
自分のミニマリスト的な性質と時勢も相まった「集める」「買いに行く」という楽しみ方の比重が下がった、戦績が常に可視化されるデジタルゲームにおいて「勝たないと」という強迫的とも言える価値観に取り憑かれ疲弊してしまった、というのが今思いつく理由である。

やめてどうするのか

時間

これを手放すことで空いた時間は、仕事に注ぎ込もうと思っている。
たまっていた本を読んだり、学びたいことを掘り下げたり、3年後の自分の生活を有意義にするような時間にしたい。
カードが無意義であるなどとは全く思わないが、今が仕事の頑張り時だと感じていることが心境に大きな変化を与えたような気もする。

お金

これを手放すことで得たお金の半分は、やはり仕事に注ごうと思う。英語とライティングの勉強がしたいので、資格の受験費や参考書と交換するつもりだ。

もう半分は、新しい趣味を探すために使おうと思う。今は音楽や美術、俳句や瞑想に興味があるので、スクールや美術館などの体験に使おうと思っている。

手放す寂しさを感じているものの、今時分の手元にあるよりは他の人の手元に渡ったほうがカードやグッズも嬉しかろうとも思う。自分の集めたカードやグッズが、誰かが一層マジックを楽しむきっかけになってくれたら嬉しい。

さよなら、マジック:ザ・ギャザリング

本当にありがとう。

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